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名古屋地方裁判所半田支部 平成5年(わ)69号 判決

主文

被告人は無罪

理由

一  本件公訴事実

本件公訴事実は、

「被告人は

第一  みだりに、平成五年七月二八日午後三時一五分ころ、愛知県A市○○町一丁目三一番地愛知県A警察署において、大麻〇・四七七グラムを所持していた。

第二  法定の除外事由がないのに、同月二七日から同月二八日までの間、名古屋市または愛知県A市において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン若干量を自己の身体に施用し、もって、覚せい剤を使用したものである。」

というものである。

二  証拠物(大麻、覚せい剤付着物、尿等)の差押、領置等の手続の経過

B作成の任意提出書(検察官請求証拠等関係カード甲10)、これに対応する領置調書(同11)及びその状況を写した写真(同13)、尿の提出状況を写した写真(同16)、尿の押収手続に関する捜索差押調書(同17)、ガラス管及び試験管の押収手続に関する捜索差押調書(同25)及びその写真(同26、27)、ガラス片の押収手続に関する捜索差押調書(同31)、現行犯人逮捕手続書抄本(同50)及び後記括弧内に記載の当庁の各押収物、証人Y子、同C、同D、同E、同Fの各公判供述、被告人の公判供述等によれば、次の事実が認められる。

1  平成五年七月二八日午前、当時被告人が交際していたY子(当時二〇歳)が、被告人から暴行を受けたとして、同乗していた被告人運転の車両から逃げ出し、A市内の会社の事務所に飛び込んで一一〇番通報したことが契機となり、たまたま右事務所付近で見失ったY子を探していた被告人は、F警察官(以下「F部長」という)からA警察署(以下「A署」という)まで任意同行を求められ、これを承諾して右車両を運転して同日午前九時三五分頃A署に出頭した。

2  右出頭後間もなくA署三階の会議室(以下単に会議室という)において、被告人はY子に対する暴行の事実について事情聴取をされたうえ、所持品の呈示を求められ、一部を呈示したものの、残りの呈示を拒否した。右呈示を求めたC警察官(以下「C係長」という)は、Y子から被告人が覚せい剤を使用した旨を聞いていたこともあり、被告人が覚せい剤に関する物か、あるいは暴行に用いた凶器を所持しているのではないかと疑い、これを呈示させるべく捜索差押許可状等の請求手続をとることを決意し、必要な疎明書類を整えた。そして、同日午後〇時二〇分頃、名古屋簡易裁判所へ向けてD警察官(以下「D係長」という)らが、右令状請求のため出発した。

3  被告人は前記所持品の呈示後、後記4の令状等が到着するまで、会議室において取調べを受けていた。

4  同日午後二時頃、名古屋簡易裁判所裁判官から、被告人に対する覚せい剤取締法違反被疑事件について、被疑者の着衣及び携帯品の捜索差押許可状等四通の令状が発せられ、D係長はこれを携えて、同日午後二時五五分頃にA署に帰着した。

5  C係長は、同日午後三時一〇分頃から会議室において、覚せい剤取締法違反被疑事件について、被告人の着衣及び携帯品に対する捜索差押許可状の執行を行い、前記2の際被告人が呈示を拒んだ所持品の一部であるパイプ(平成六年押第一号の二)及びガラス片三個(同押号の七)を呈示させ、さらに右パイプの中からこげ茶色の粒状の物を取り出し、大麻試薬により検査をしたところ、大麻と判明したので、同日午後三時二三分被告人を、大麻所持の被疑事実に基づき現行犯逮捕するとともに、右大麻(同押号の一はその一部)等を押収した。

6  D係長は、同日午後三時三八分ころ、覚せい剤取締法違反被疑事件について、被告人が運転してきた車両の捜索差押許可状の執行を行い、覚せい剤と思われる白色粉末が付着したガラス管二本(同押号の四、五)、同様の白色粉末の付着した試験管二本(同押号の六、七)を押収した。

7  D係長は、同日午後四時五〇分頃、A署内において、被告人に対する覚せい剤取締法違反被疑事件について、被告人の尿の捜索差押許可状を示して、被告人に対し尿の任意提出を求めたところ、被告人は自ら採尿のうえ、約五〇ミリリットルの尿を任意提出したので、D係長はこれを押収した。

8  G警察官(以下「G部長」という)は、平成五年八月六日午前九時四〇分頃、A署駐車場に駐車してあった被告人運転車両の中にあった大麻(同押号の九)の付着したビニール袋(同押号の三)一袋を、右車両の所有者であるS株式会社の代表者Bから任意提出を受け領置した。

三  弁護人の主たる主張の要旨

弁護人は、被告人は前記七月二八日午前一〇時頃から同日午後三時二三分に現行犯逮捕されるまでの間、取調べ警察官らによって事実上逮捕監禁状態下におかれたものであって、違法に身柄の拘束を受けたものというべきところ、この被告人に対する違法拘束がなければ、前記二5の捜索差押許可状の執行はありえず、従ってこれに続く現行犯逮捕、さらには前記二6ないし8の押収領置等の手続も存在しえなかったのであるから、これらの手続は、違法拘束を直接利用したものであって違法、無効であるから、これによって得られた証拠物、あるいはこれを前提とする鑑定書、鑑定人の公判証言、右手続を証する捜索差押調書、領置調書等は証拠能力を有せず、本件審理から排除されるべきであると主張する。

四  右主張に対する判断

1  会議室の見取り図の添付された捜査報告書(検察官請求証拠等関係カード甲44)、電話料金内訳明細書(弁護人請求証拠等関係カード11、12)、証人C、同E、同F、同H、同I、同Jの各公判供述、被告人の公判供述によれば、前記二3の取調べの経過の中で、次のような特徴的な出来事を認めることができる。

(1) 前記二2の所持品の任意呈示等の後、午前一〇時頃からE警察官(以下「E部長」という)が会議室において、Y子に対する暴行、傷害の被疑事実について、被告人を取調べ始めた。しかし被告人は、被疑事実についてはもとより、自分の住所、氏名すら述べなかった。そしてY子と面接することを求めた。E部長は、Y子が被告人を恐れ、脅えて、とても面接させられるような状態にはなかったこと、もし面接を許せば、被告人がY子に暴行を加える可能性があるとも感じていたので、右求めには応じなかった。すると被告人は、帰りたいと言い出した。これに対しE部長は、「帰ればもう一度A署へ出てきてもらって話を聞かんといかんことになる。大変だから一ぺんに今ここで事情を聴かせてくれんか。」とか、「Y子を一人ここにおいていっていいのか。だからゆっくりお互いの話を聞いて、事情が分かって何もなければ、一緒につれて帰ってくれ。」等と言って、被告人を引きとめた。このようなやりとりが繰り返された。

(2) 午前一一時頃被告人がH警察官(以下「H部長」という)から事情を聴かれていた際、たまたま被告人の携帯電話にJ弁護士から電話がかかってきて、被告人がどのような状況にあるのかを尋ねた。被告人は、「女の子とごたごたしてA署まできている。女の子もきており、会わせてほしいと要請したが、認めてもらえない。帰りたいとも言っているけども、帰してもらえない。どうしたらよいか。」と助言を求めた。J弁護士は、被告人が逮捕されていないことを被告人に確かめたうえで、「逮捕されていないのであれば、君の要求によって帰ることができることになっている。明確に帰りたいという意思を伝え、帰りなさい。」と助言した。話の途中で被告人は在室していた警察官に、電話でJ弁護士と話をするように求めた。これに応じて電話に出たH部長に対し、J弁護士は、被告人は帰りたいということも言っているようであるが、どんな状況かと説明を求めた。H部長は「逮捕はしていない。暴行、傷害の被疑事実で事情聴取中であるが、本人はほとんどしゃべらない。」と答えた。J弁護士は、「身柄の拘束がされていないのであれば、いつでも退室できるはずである。したがって本人は帰りたいというのであれば、釈放しなさい。」と申し入れた。するとH部長は、「容疑が事実なら、逮捕の手続をしないといかんでしょう。」と答えた。さらにJ弁護士は、「まだ逮捕していないんだったら帰してやって下さい。」と要請した。最後にH部長は、「わかりました。」と答えた。

(3) 午前中から被告人は、席を立って出入口へ向かうような素振りを示したことがあったが、取調べ警察官らが、言葉で座りなさい、腰掛けたらどうかと言ったり、被告人の肩に手をあてて着席を促したり、あるいは被告人の前に立ちはだかったりしたので、被告人はそれ以上の行動に出ず、結局元のいすに戻って着席するにとどまった。

(4) 午後になってから、被告人はJ弁護士に数回電話している。その中で被告人は、前記(2)の電話の際、H部長に対し、きちんと被告人を解放するように要求してくれたのかと確かめ、何度も立ち上って出ようとするが、何人か警察官がいて出してくれないと訴えた。J弁護士は被告人に次のような助言を与えている。すなわち、退室したいということを明確に告げて、帰る行動を起こせと。また、それによって警察官と揉み合いになったときは、公務執行妨害だといわれかねないので、時刻を記憶しておきなさいと。

(5) 被告人は午後になってからも前記(3)のように席を立って出入口に向かおうとしたことがあったが、前記(3)同様な態様で警察官にはばまれ、それ以上の行動はできないでいた。しかし被告人はいよいよ意を決して、午後二時二四分頃から午後二時五〇分頃までの間に、退室する旨を告げて、出入口に向かって足早に歩き始め、出入口近くまで来たところ、E部長が被告人の前に立ちはだかった。被告人はその左側をよけてすりぬけようとしたが、E部長は被告人の右手をつかみ、F部長が被告人の左手をつかんで、両名とも被告人を引き戻そうとし、さらにI警察官(以下「I部長」という)が被告人のうしろから、被告人の身体を抱えて引き戻そうとし、被告人はこれに抵抗して揉み合ううち、被告人とI部長はもつれて床の上に倒れた。倒れた後も被告人は、足で蹴ったりして、渾身の力を込めて抵抗したので、右三人の警察官は被告人の両足、両手や肩などを押さえて、右抵抗を抑圧した。そのうち被告人は苦しくなり、力尽きて、もう抵抗しないから離してくれと言ったところ、ようやく右三人の警察官は被告人から手を離した。その後の経過は前記二5以下に記載のとおりである。

2  前記1認定の事実によれば、被告人はE部長の午前中の取調べ時から既に、帰りたいと退去の言葉を発しているのであるが、それが容易には叶えられないことから、法律の専門家である弁護士を介して、その意思を明確に警察官に伝え、トラブルをおこさずに円滑に退去することが実現するよう努めていることが明白である。その後も警察官の有形力の行使により、抵抗することを断念するまでの間は、絶えず退去の意思を示す言動をとり続けていることにかんがみると、J弁護士が電話でH部長に、被告人の解放方を要請した午前一一時頃には、退去の意思を明確に表示したものと認められる。

3  しかるにE部長ら被告人を取調べた警察官は、J弁護士の右電話以降も、説得により、被告人は任意会議室にとどまった旨供述する。しかし前記1(1)認定のように、E部長は被告人がY子をつれて帰る可能性があることを示唆して被告人にとどまるように説得しているところ、E部長は、Y子が被告人を恐れ、脅えて、とても面接させられるような状態ではないこと及びY子が被害届を提出し、被告人を告訴する意思を有していることを知っていたうえ、被告人の行った暴行は、覚せい剤が原因であるという気持ちを抱いており、取り調べ当時も被告人に覚せい剤の禁断または中毒症状が現れているのではないかと感じていたこと、被告人がEに対し、今執行猶予中であると自ら述べていたこと(以上いずれも証人Eの公判供述によって認める)等の諸事実にかんがみると、E部長は、被告人がY子を連れて帰れる可能性が乏しいことを認識しえたものと認められるから、右のような説得の仕方は極めて不明朗というほかはない。被告人が任意同行を承諾するに際し、「A署に行けばY子に会わせてもらえるのか。」と尋ねていたこと等にかんがみると、被告人は始めの頃は、もしかしたらY子と面接できるのではないかと考え、退去を躊躇したのではないかとも推認される。また午後からは、どうしたら円滑に退去できるかと考えあぐね、J弁護士に何度も電話するなどしていたことは前記1(4)のとおりである。したがって被告人が任意(この場合瑕疵のない真意に基づく任意の意味)にとどまったとする証人Eらの公判供述は、採用し難い。

4  またE、F、Iの各証人は、前記1(5)のようにE部長ら三人の警察官と揉み合いになる直前に、被告人がI部長の間もなく令状が届く旨の言葉に触発されて、「はめたな」と言ってI部長に向かってきた後、いきなり南側窓にかけ寄り、「死んでやる」、「飛び降りてやるぞ。」などと叫んで、あたかも窓から飛び降りるかのような体勢をとったので、右三人の警察官が、被告人をとめた旨供述する。しかし被告人が抵抗を断念し、E部長らが被告人を押さえるのをやめた後の午後二時五〇分頃、被告人はJ弁護士に電話し、「二時二四分でした。退室しようとしたけれど、帰してもらえませんでした。体を押さえつけられました。」と報告しており、この内容からは、前記1(4)のJ弁護士の助言に忠実に従って行動したことがうかがえ、一時的にせよ飛び降りるという異常な行動をとったことは推認できない。また証人Eの供述によれば、飛び降りるのをとめられた被告人が、いすに座るや否やまた出入口に向かって退去することを予想して、これに備えて敏速に出入口におもむいて、被告人を待ち受けたことになるが、このようなE部長の行動は余りにも手まわしがよく不自然である。さらに被告人は前記二2の所持品の呈示を一部拒んだ際、強いて呈示を求めるのであれば、令状を呈示せよと言っており、また前記1(2)のJ弁護士との電話のあと、令状がないなら帰りますと被告人が言ったところ、令状ならあるぞとも言われ、さらにその後令状を取りに行っている旨の話も出ている(被告人の公判供述)ことに照らすと、被告人はいずれ令状が到着することは予想していたものと推認できるから、I部長の令状が届く旨の言葉に触発されて、飛び降りをはかるというのも、動機としては首肯できない。これらの疑問点及び本件に現れたその他の諸事情を総合すると、前記三人の警察官の供述は採用できず、他に被告人が飛び降りをはかったことを認めるに足る証拠はない。

5  C係長ら、当日任意同行から始まった被告人に対する捜査に関与した警察官が、任意捜査の名のもとに違法な身柄拘束を行い、令状主義に違反する違法な捜査を行ったものと認め得ることは、後述のとおりであるが、事のなりゆきから結果的に違法な手続に至ったのではなく、早い段階から令状主義潜脱の意図を有していたことは、当日午後一時〇七分頃、被告人の兄のKがA署の防犯課に電話して、被告人がいるこを確認した後、今日帰してもらえるかと尋ねたところ、対応したG部長は、取調べ中だから今日は帰れません、容疑は暴行と覚せい剤である旨回答した事実や、捜査の指揮をとったC係長が、令状到着までは、被告人をA署に留め置き、帰さないつもりであったと述べている(第五回公判期日の証人C尋問調書五丁裏~六丁表)事実等からも裏付けられる。

以上検討したところによれば、J弁護士が被告人の所持する携帯電話に電話をかけた後、対応に出たH部長に対し被告人の解放を要請した午前一一時頃から、前記二5の被告人に対する覚せい剤取締法違反被疑事件について、その被疑者の着衣及び携帯品の捜索差押許可状の執行に着手する午後三時一〇分までの間、被告人はA署警察官によって違法に身柄を拘束されたものと認められる。

前記二及び前記1認定の各事実によれば、右違法な身柄拘束は、これに引き続いて行われた前記二5の被告人の着衣及び携帯品に対する捜索差押許可状の執行を目的として、行われたものと認められる。すなわち右違法な身柄拘束がなければ右捜索差押の執行が行われることはなかったものと認められる。したがって、右執行の結果に基づいてなされた前記二5の現行犯逮捕、及びその後に行われた前記二6ないし8の一連の押収または領置手続もまた存在しえなかったものといわざるをえない。そうだとするとこれらの手続は、違法な拘束を直接利用したものとして令状主義に反する重大なる違法があり、違法捜査抑制の見地からしてもこれら一連の手続によって得られた証拠物のうち、少なくとも検察官請求証拠等関係カード甲5の大麻(平成六年押第一号の一)、同12のビニール袋及びこれに付着した大麻(同押号の三、九)、同21、22の各ガラス管(同押号の四、五)、同23、24の各試験管(同押号の六、七)、及びこれら証拠物の鑑定結果である同9、同15、同19、同29の各鑑定書は、いずれも証拠能力を有せず、本件公訴事実の有無を判断する証拠から排除すべきである。

してみると、本件大麻取締法違反の公訴事実記載の所持していた大麻が、大麻取締法一条にいう大麻であること、また、本件覚せい剤取締法違反の公訴事実記載の使用にかかる覚せい剤が、覚せい剤取締法二条にいう覚せい剤であることの補強証拠がないことに帰する。

五  結語

以上のとおり、結局本件各公訴事実については、犯罪の証明がないこととなるので、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し、無罪の言渡しをする。

(裁判官 大濱惠弘)

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